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東日本大震災直後、福島県に派遣されたひとりの警察官がいた。 彼はベトナム人の両親をもち、日本に生まれ、ヒトのために働きたいと帰化して警察官になった。
その彼が派遣された場所は、福島第一原発か25km離れたある被災地。震災と原発事故の最も過酷な状況の中で治安確保のための派遣だった。 しかし、治安は安定しており、住民の見回りも機能し、彼は被災者の埋葬と食料分配の手伝いを多忙な職員に代わって行っていた。被災者と向き合った初日こそ涙を流したものの、余りに酷い惨状に泣くことさえ忘れ、ただ呆然と仕事をこなす毎日となった。
忘れもしない3月16日の夜。被災者に食料を配る手伝いのため向かった学校で、彼は9歳だという男の子と出会った。 寒い夜だった。なのに男の子は短パンにTシャツ姿のままで、食料分配の列の一番最後に並んでいた。気になった彼が話しかけた。長い列の一番最後にいた少年に夕食が渡るのか心配になったからだ。
少年は警察官の彼にポツリポツリ話を始めた。少年は体育の時間に津波と地震にあう。近くで仕事をしていた父が学校に駈けつけようとしてくれた。 しかし、少年の口からは想像を絶する悲しい出来事が語られた。「父が車ごと津波にのまれるのを学校の窓から見た。海岸に近い自宅にいた母や妹、弟も助かっていないと思う」と話したのだ。
家族の話をする少年は、不安を振り払うかのように顔を振り、にじむ涙を拭いながら声を震わせた。悔しさと心細さと寒さで・・・ 彼は自分の着ていた警察コートを脱いで少年の体にそっと掛けた。そして持ってきていた食料パックを男の子に手渡した。 遠慮なく食べてくれるだろうと思っていた彼が目にしたのは、受け取った食料パックを配給用の箱に置きに行った少年の姿だった。唖然とした彼の眼差しを見つめ返して少年はこう言った。 「ほかの多くの人が僕より、もっとおなかがすいているだろうから・・・」警察官の彼は少年から顔をそらした。 忘れかけていた熱いものがふと湧き上がってきたからだ。少年に涙を見られないように。
まがりなりにも大学卒で博士号をもち、髪にもしろいものが目立つほどに人生を歩んできた自分が恥ずかしくなるような、人としての道を小さな男の子に教えられるとは。 9歳の男の子、しかも両親をはじめ家族が行方不明で心細いだろう一人の少年が、困難に耐え他人のために思いやれる。
少年の時から他人のために自分が犠牲になることができる日本人は偉大な民族であり、必ずや強く再生するに違いない。 自分の胸の中だけにしまっておくにはあまりにももったいない話だった。いや、誰かと自分の感動を分かち合いたかった。
彼はベトナムの友人に自分の体験した話を打ち明けた。 ベトナムの友人も感動して祖国の新聞記者に伝えたのだろう。「Vietbao紙」の記者は次のような記事をのせて、少年と日本を称賛した。
「彼がベトナムの友人に伝えた日本人の人情と強固な意志を象徴する小さな男の子の話に、我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった。」 「我が国にはこんな子がいるだろうか。」この記事が大変な反響を呼び、決して裕福とは言えないが、ベトナム国民からの義援金が殺到したという。 悲劇と苦難のもとでも失われない、けなげな日本人の美質と負けない力を、少年の小さな行為から教えられました。
ほんとうにありがとう。でも・・・気がかりなのは9歳の男の子のこと。 奇跡が起きて生還した家族と暮らしていてくれることを心から願います。